日野公園墓地の歴史について
【横浜市営日野公園墓地】は、四季折々の緑豊かさを感じられる明るい公園墓地です。
お参りの方は元より、地元の方々のお散歩コースやジョギングコースなどとしても慕われています。
日野公園墓地の【歴史】は古く、昭和8年に開園されました。
徐々に区画を増やし、現在では、
- 1区~10区
- 合葬墓
- 納骨堂
という広大な墓地として成長しています。
新墓地の大規模な新規造成予定はありませんが、無縁墓や移転区画の整地・整理を行い、数がまとまったところでの再販売は、不定期で応募がございます。
横浜の歴史とともに歩んできた日野公園墓地には、横浜に縁のある著名人の方々が眠りについております。
横浜市HP内「港南区ふるさと港南 歴史の散歩道 2-5」より引用・要約
- 白瀬中尉
→南極探検家。 - 中村房次郎
→横浜の政財界に大きな役割を果たした実業家。 - 鈴木達治
→横浜高等工業学校(現横浜国立大学工学部)の創立校長。 - 市島保男
→「きけわだつみの声」に「最後の日記」を残した海軍中尉。 - 五姓田(ごせだ)義松
→近代洋画の草分けとなった画家。 - 尾山篤二郎
→横浜高校の校歌を作詞した歌人。
そして何故ふるさと港南に載せなかったのか疑問ではありますが、言わずと知れた『昭和の歌姫【美空ひばり】さん』が眠る墓地として有名です。
美空ひばりさんの生まれは港南区のお隣、磯子区の滝頭で、ひばりさんのお墓がある場所からは、丁度磯子区滝頭方面が見渡せる位置に建っています。
もしお参りに行きたいけど、「道が分からない」という方はお気軽にお尋ねください。